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世界最高レベルのばら論争に決着

「バラ学」特論
[世界最高レベルの「バラ論争」に決着]

故柴田 昇 元長崎大学教授の論文*の再評価
(*「ばらだより」No.473号1995年10月号に掲載)

“ギリシャ・クレタ島のクノッソス宮殿の
フレスコ原画の花は世界最古のバラの絵”である

公益財団法人日本ばら会
代表理事 長田武雄(工博)

  1. ギリシャのエーゲ海にある「クレタ島」は、今から4,000年程前、ミノア文明において、地中海に隣し、北アフリカやイエルサレム等との交易の要衝の地にあり、重要な島であったと言えます。
    その島にある「クノッソス宮殿」(広さ約140平方メートル)はバラにとって重要な遺跡でもありますが、紀元前1450年頃に起きた大地震のため宮殿は壊滅的に破壊されてしまったとのことです。しかし何とか、すぐ復興され、壁画の一部が今日に残されたといわれています。(ギリシャ・クレタ島イラクレオン考古学博物館に展示されている。)
  2. さてギリシャ・クノッソス宮殿の壁画には「世界最古のバラの絵」が含まれているとする専門家が多いのですが、そうでないと否定する人々もいて、長い間論争されてきました。しかし、今回、柴田先生の資料を以下のように再考察することによって、バラの絵であるとする結論に達することができます。
    以下にそれを詳細に説明します。
  3. 写真-1フレスコ画はクノッソス宮殿の「青い鳥のいる庭園の壁画」で、特にバラに関係する部分を一括して示したものです。
    • ここで先ず注意して頂きたいのは、「壁画」は前述のように大地震で、宮殿が破壊された後、図示したように修復されたものであるということです。従って、絵は全体一枚のように見えますが、さらに写真-2に示したように、その内で「原画はA,B,C,D等太線で囲んだ部分のみ」であるということです。その他の大部分は後で描き加えられた「修復画」だということです。
    • 絵では右上と左下に「花」(c,d)があるが、これは後で修復工が描いたもので、第一級の遺品とは言えません。なぜなら後述しますが、この「修復工」は余りバラの素養のない者であったと多くの専門家が指摘しているので、その意味でも「修復部分」は価値が下がると見做されています。
  4. さて本題に入ります。(1)19世紀末、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンス卿(Sir Arthur Evans 1851-1941)がこの遺跡を38年間かけて発掘調査しました。そしてその宮殿にある壁画にバラと見られる絵が発見されたのです。

    写真-1 ギリシャ・クレタ島にあるクノッソス宮殿の「青い鳥のいる庭園」の壁画
    (イラクレオン考古学博物館に保存展示)
  5. もしバラの絵であるならば史上最古のものになるので、世界の関心が高く、下記のように多くの学者・専門家による調査研究が重ねられてきました。
    その主な人を以下に挙げます。
    (2) チャールズ・ハースト(Charles C.Hurst1870- 1947イギリスのバラ学の第一人者)
    (3) R.E.シェファード(Shepherdアメリカのバラ学の大家)
    (4) メビウス(M.Möbiusドイツの植物学者)
    (5) 英ロナ・ハースト夫人
    さらに日本人では、
    (6) 大場秀章氏(東大名誉教授 植物分類学者・理学博士)
    (7) 鈴木省三氏(故元京成バラ園芸(株)研究所長)
    (8) 柴田 昇氏(故元長崎大学教授・元長崎ばら会会長・文学博士)
    (9) 長田武雄(公益財団法人日本ばら会代表理事(今回、再評価のまとめ)
    ◎そして(1)〜(5)の欧米の専門家は皆「原画の花はバラ」であると断言しています。
  6. さらにそのバラの品種(原種)は各々以下のように推論されています。
    (a)「ローザ・ペルシカ」
    (b)芸術的に修飾された「ローザ・ガリカ」
    (c)「イヌバラ」「ローザ・ドウメトルム(当地に原生している)か
    (d)聖なるバラの意で「ローザ・リカルデイ」ではないかと。
    しかし、この原画から品種を断定するのは難しいのではないかと思われるので、これ以上の検討は致しません。
  7. さて日本人の意見を下記に要約します。
    先ず(7)の鈴木省三氏は、知人に頼んで、撮ってきてもらった「写真」を見て判断されたとのことです。写真は、全体があたかも一枚の絵のようになっているので、「原画」と「修復画」との“ 区別“がなされていません。その結果「花弁が6枚」で、「葉は三小葉」なので”バラとは言えない“との結論を出してしまいました。氏は写真のみの判断なので残念ながら最終的判断を誤ったと考えられます。
    (6)大場秀章氏は自著「バラの誕生」(中央新書)で詳しく解説されております。その9頁に「葉が三小葉のバラはこの時代に存在したとは考えにくい」と書いておられる。しかし、太古の昔からバラには一枚葉、三枚葉、五枚葉、七枚葉、九枚葉等々があるので、何故そのように言いきれるのか理解に苦しむものがあります。
    しかもバラはギリシャ文明以降現代まで「花の女王」といわれるほど「特別な花」であったが、この時代ではそうではなく、この絵の中に描かれているカラスノエンドウやアイリス等と同じように、単に草花の一種に過ぎなかったのではないか?とも言われている。
    ミノア文明はギリシャ文明以前の文明なので、当然、氏のこの意見に反対する者は誰もいないでしょう。私も全く同感です。しかし、これらをもって、この「壁画の花はバラとするには懐疑的である」と氏は結んでいる。これらの論点から、バラであるかないかを判断するのは、少々議論が足りないのではないかと感じられます。
    以下のように壁画の絵の花には「5弁のもの」「6弁のもの」とが描かれていることについては何も述べられていないのは極めて残念な点です。最も検討すべき根本的な問題点である筈なのに。
    (8)の柴田先生は実際にクレタ島に行かれ、現地のイラクレオン考古学博物館にある「実物の壁画」を見られて、“この花はバラであるという結論は容易に導かれる”と言われています。その実物を見られての先生の観察は以下のようなものでした。
    (ア)まず次の写真−2に詳しく示したようにのように「原画」(A、B、C、D等太線で囲まれた部分のみ)と「修復画」とをはっきりと区別できたことは判断を下すのに大変役立ったといわれています。
    (イ)原画中の花はf一個と小三葉はAの中に一個とCに2個とDに一個です。また花fの中央の少し色の濃い部分は「花芯」で、花弁の「色」はアイボリー、でも少しピンクを帯びているようにも見えるとのこと。
    (ウ)「花fの弁数」について、柴田先生ははっきりとは数えられなかったので、この花の姿だけからはバラと断定はできなかったが、(大場氏の著書では「5弁」と記載されている。)
    (エ)花の上に見られるバラらしい「小三葉g」と併せ考えるとバラと断定してよいようですと述べておられます。
    (オ)さらに小断片C、Dの中の小三葉にはバラらしいのとそうでないのとがあったとも述べています。
    (カ)“復元の際に描き加えられたバラの絵は6弁”で、原画中のバラと比べると色もオレンジ色で、鮮やかであり、「原画」とは全く異なっているし、小三葉もバラの葉とは断定できない曖昧さを持っているので「原画」と「修復画」を同一のものとみなして、一緒に見てしまうと、誰でも判断ミスをしてしまうといわれています。
    氏も“原画を実際に見るまでは判断ミスをしていた”と言われて反省しておられます。
    (キ)さらに柴田先生は、(1)から(5)の欧米の専門家の方々は欧米の遺跡品等を見る芸術的な感覚を身に付けておられるので、実物を見て“疑いなくバラ”としていることに注目しておられる。植物分類学植物形態学にこだわり過ぎることなく、さらに芸術的観点からも考察しなければならないと強調さています。
    ◎柴田先生はイラクレオン考古学博物館を訪ね、実物の原画をつぶさに考察されて、最終判断として
    クノッソス宮殿から発掘された「青い鳥のいる庭園」のフレスコ原画の花はバラであり、紀元前16世紀頃に描かれた、世界で一番古いバラの絵である。
    と結論されています。

    写真-2 ギリシャ・クレタ島のイラクレオン考古学博物館に保存・展示されている
    「青い鳥のいる庭園」の壁画中の「原画」と「修復画」との区別
    (“太線で囲った部分が原画”)
  8. 以上、欧米と日本の専門家の長い間の検討結果を上記のように考察してきましたが、私も欧米の5氏(英アーサー・エバンス卿、英チャールズ・ハースト博士、米シェファード博士、独メビウス博士及び英ロナ・ハースト夫人)と柴田先生の実地実物検証による貴重な結論に賛意を表明するものです。18年前の柴田先生の論文を再評価し、その功績に重ねて敬意を表するものです。

以上

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